2018年03月18日

マニア教祖・後編

 前回のつづきだから。

 霊的な存在の役割っていうのは、物質世界に生きる人間をね、そうでない世界に引きずり込むことじゃないのよ。触れることのできない心を、精神を軸にして、それでも物質世界で生きていくという矛盾。それが我々の日常なわけよね。

 共有できないもどかしさ、どうせ結果しか見てもらえないような日々に疲れて、ついつい物質だけに囚われてしまいそうなさ。

 そんな危うい存在に対して、問いかけたり、こっそりヒントを見せてみたり。それが霊的な存在の、気の遠くなるような仕事なのよ。大変だと思わない? 気づかせたいのに、気づかない方が圧倒的に確率の高い上に、物も直接使えないような導き。

 物質として見せる方が信じやすいんだもん。

 本当に「幽霊を見た」人だって、見たっていうことを信じてもらうために証拠をこしらえちゃったりする。妖精とかネッシーとか雪男とかの写真だってね、全部が全部、最初から話題作りのためだったわけじゃないと思うのよ。

 でも「偽物の証明」をする人が必ずいて、全部「それ系」でまとめられて偽物にされちゃって、信じられる確率がまた下がって。霊的な存在の努力ってのは、物質世界の努力よりはるかに空しい。と思えちゃうよね、こっちからすればさ。

 そんなわけで、「本物」の証明は非常に難しい。本物は心の中にあるから。心のあり方、生き方を問うことで、結果を改善していこうというのが本物だから。「精神世界」とはよく言ったもんだ。

 でもみんなが、大抵の人が欲しいのは「当たりくじの番号」でしょ。「それを言い当てるのが本物に決まってる」と大声で言い張る奴と、そういう超能力を探す人がいっぱいいっぱいいるわけよ。検索の上位に来るような「みんなが欲しがってる情報」ほど、本物からは遠いところにある。

 「見たいものを見たい」とか「知りたいことを知りたい」っていうだけの「結果を決めつける気持ち」は、本物を遠ざけるよ。
posted by 篠田 青 at 01:45| Comment(0) | 精神世界

2018年03月17日

マニア教祖・中編

 前回のつづきだけどさ。

 フィクションの特殊能力っていうのは、「こうだったらいいのにな」が多い。他人よりも優れていたい、得をしたいと思う気持ちを、登場人物に重ねたり、託したりするから。

 他人の知らない情報を知っていたい、誰よりも先に知っていたいという気持ちが、少年を他県の本屋に走らせる部分もあるわけだしね。いのち短し恋せよ乙女、いくらでも走りゃいいんだけどさ。

 そういう気分がベースになってると、精神世界への理解がズレるのよね。先を知りたい、知っていたい、人よりも先回りしておきたい。フィクションの超能力と、現実世界の(というのも妙だけど)霊能力とがごっちゃになる。

 過去を言い当てる、未来を予言することを「本物」の基準にするんだよね。

 過去を当てられたとして、それが得か? 信じるための分かりやすい材料が(霊的な存在から)わざわざ提示されたってことで、情けなくないかね。こっくりたん的なしょぼさを感じないかね。

 未来の情報なら得か? 結果の分かっているギャンブルで、金だけを手に入れることが。いや、ギャンブルやらんから知らんけど、駆け引きとかもギャンブルの楽しみに入ってるんじゃないの? 負けのリスクや不安を乗り越えてみたいような気分が。

 結果に直結するような、誰でも簡単に驚くような能力っていうのは、ほとんど偽物みたいなもん。「即物的」ってのは、安っぽいんだよ。手から粉出すとかね、物を媒介にして「見えるもので信じさせる行為」っていうのはもう、本物からすげえ遠い。

 薬とか煙を使って、トランス状態になるやつとかもそう。「物質的な媒介を必要とする時点で危ない」っていう方が正確かな。物に頼ってるから。

 つづくから。
posted by 篠田 青 at 00:45| Comment(0) | 精神世界

2018年03月16日

マニア教祖・前編

 「これは本物だ」みたいな台詞がある。

 漫画とかドラマとかで、超能力者とかに対して使われる言い回し。信じてなかった人が、信じざるを得なくなったりするような場面で、台詞っていうかあれだ、心の声だな。

 前にもちょっと書いたけど、占いマニア的な人たちがね、やれ本物だ偽物だと触れ回るようなことはよくある。

 オカルトマニアや神秘家なんかにも、「これは本物だと思えるレベルには達していない」みたいなことを言うのが好きな人が結構いる。ような気がする。

 そういうことに興味をもつ入り口っていうのは、人それぞれで。だから世界は楽しいわけではございますが。

 「うおおこんな世界があるのか」みたいな衝撃とか、神秘への憧れとか、夢みたいな気分があって入ってくる人がね、結構な割合で存在してて。フィクションから入る人も多いわけよね。創作上の都合ごときっちり信じちゃうっていうのかなあ。そこを動かすのって大変なのよ。個人個人の夢って、強烈な想いだから。

 自分より詳しい人はいないっていう「クラスで一番のマニア」的な立場を確立しちゃうとね、情報源なのか教祖なのかが分からなくなってくる。「隣の県まで雑誌を買いに行くような熱心さ」と、「実際にそういう感覚が備わっていたり、能力を磨いていたりする」っていうことは別なのに、クラスメイトから(暇つぶしに)あれこれ聞かれているうちに「自分は教えられる人」だという勘違いを起こす。

 そうして出来上がっちゃっただけのマニアがね、「本物だと思えるレベル」を語るんだ。おーおきな声で。町内会の噂製造マシーンばりに迷惑。ま、信じる奴も信じる奴だけどさ。

 つづくけどさ。
posted by 篠田 青 at 01:14| Comment(0) | 精神世界

2018年03月15日

儀式屋さん

 前回もちょっと触れたけど、見えないものを扱うことの難しさね。

 第三者が入ってきて、「霊感商法だキーキーキー」みたいに言い出したらもうさ、終わりみたいなとこあるじゃない。信じてない奴が断固信じない許せないって立場でね、勝っても負けてもギャラもらうんで頑張ります任せてくださいよっていう。負けることあるのかね、ああいう裁判って。

 まあね、見えないのをいいことに悪いことする奴はいっぱいいるからね。

 でもね、霊感ゼロの神社仏閣関係者がね、「いるかいないかは分かりませんが、癒やしとしての役割が」みたいなスタンスで受け付けるのもどうなんだよと。

 勉強だけした占い師とかと同じだと考えれば、別にいいのか?

 見えないものを見えるようにするというか、共有できる=(第三者も含めて)合意をとれるようにするために発展してきたのが儀式で、勉強すればなれる系の占い師なんかもまあ、同系統だよね。

 そういう意味では、住職も神職も占い師も、基本的には儀式屋さん。絵馬もお守りもありがたいお水も、パワーストーンなんかもぜーんぶ関連グッズで。

 どこからが霊感商法なのかのう。わしゃ分からんわいほうじゃほうじゃ。歴史と伝統の大手チェーン店なら許されるんかのうギギギ。

 貯め込んでるくせに資金繰りが苦しいふりしてるような、悪ーい儀式屋さんはいっぱいいるけどね、昔から。そういう奴に限って、やれ霊木だ神木だってね、神妙な顔して言ってたりするんだよ。まあいいのか、儀式屋だから。

 いいのか?
posted by 篠田 青 at 01:25| Comment(0) | 精神世界

2018年03月14日

偶然の固定・後編

 前回のつづき。

 たった一回の成功体験。たまたまうまくいったケースを、能力や儀式として固定しようとする。叩いて上手くいったんだからと、物理刺激の強弱だけで対応しようとする。叩きまくったり、やたら水かけたりね。

 「巣箱」として繰り返し扱ってるけど、霊障ってのはそんなに簡単なもんじゃない。個人個人の癖に対して、実に巧妙に寄生するし、共生関係にまで発展してしまう場合も多い。

 そういうことを分からずに、最初の一件をベースに固めていっちゃう。

 評判になってその気になって、行くところまで行っちゃうと、引き返すわけにいかない。今さらできないとは言えないし、「やってきたんだ、できるはず、できないはずがない」と言い聞かせて、もっと強い物理刺激を、もっと長い時間をかけてやってみる。

 そして、取り返しのつかないことになる。

 霊能者本人も、取り巻きも、みーんな取り憑かれてたんだよね。見えないものを見たいけど、見えない。だったらせめて、見える人を知っていると言いたい。一番の友達だとか、一番最初に見つけたって言いたい。門徒ちゃんたちと同じっていうか、少なくともそんなに何が違うってわけでもないんだけどね。

 逮捕されたとか、霊感商法だとかって感じで取り上げられて、忘れられていく。忘れた頃に、同じような事件が起きる。

 信じないだけの人たちで裁こうったって無理があるよな、とも思うんだけどね。見えないものってこういうときに厄介だから、見えるものだけを共有していきましょうっていうのが科学で、現代で。まあだから、しょうがないんだけど。
posted by 篠田 青 at 00:34| Comment(0) | 精神世界