2018年11月07日

給食を残すとか残さないとか・中編

 前回のつづき。

 時間がないとき、急いでるときっていうときに、減点方式は便利なんだよね。いいところを探すよりも、駄目なところ、気にくわないところを探す方が早いでしょ。中卒よりも高卒、高卒よりも大卒の方が無難だろうから、最初っから大卒だけ採用しようっていう。

 遅くとも小学校からそういうシステムに組み込まれるんだから、会社の人事だってそうなりますわな。目に留まる書類を提出できるかどうかが一次審査で、「興味を引く書類を出してくれ」って凄いよね。いちいち行間まで読んでられないから一目で違うと思わせろっていうのはもう、お忙しい証拠ですからね。減点方式を採用せざるを得ないわけで、いやあ、頭が下がります。

 そんなところに採用されないで済むってのは、応募者にとっては実は幸いでもあって。より良い出会いを信じ続けるか、読まれる書類を作る努力をすれば済むんだからやってみようと考えるか。

 ええと。

 問題の根本を探ろうと思うとこうやって散らかってきちゃって、読む方が飽きちゃったり「私が悪いのかもしれませんが、何が言いたいのか分かりませんでした」ってなっちゃうわけですね。

 だから「給食は食べ残せ」だけで書くべき。できればTwitterで完結すべき。それができない奴は時代の流れについていけない落ちこぼれだから自己責任で死ぬべき。

 三行で判断したいのよね、皆さん。減点方式で。

 でもさあ。根本は生存競争だとしてもね。人類が数千年の歴史を積み重ねてきて、子どもの教育が減点方式、見切り主義みたいなのでいいのかね。

 学校給食の光景が昭和のね、僕の時代と未だに同じって「時代の流れ」はどうなってんのかね。中編というからには続こうかね、次回に。
posted by 篠田 青 at 03:28| Comment(0) | 組織・ビジネス

2018年11月06日

給食を残すとか残さないとか・前編

 「給食は食べ残せ」みたいな記事があった。まあね。「完食するまで許されない」とか「昼休みに入っても泣きながら」っていう古い現状に対するカウンターだし、見出しで勝負しなきゃいけない時代だし。

 でもね。

 うるせえな。

 ほんとうるせえなって思う。「科学的な裏付け」とかを並べておいて結論が「食べ残せ」って。対極のキャッチコピーを打ち出すことで古い現状を打破しようってのは基本だろうけど、何だよそれ。その記事を叩きたいわけじゃないのよ。そういうのばっかりじゃございませんか、最近。っていう。

 日本の教育の基本に「落ちこぼれを作らない」っていうのがあって、発生してしまった、または解消できなかった落ちこぼれに対しては「なかったことにする」。教育って学校だけじゃないよ、会社でも続くんだよこれ。凄いよね日本。いやあ、素晴らしい美しい。

 だからいじめを隠すし、落ちこぼれにされた者は登校拒否か転校しか選べなかったりする。

 「できること」よりも「できないこと」に着目せざるを得ないのは、社会がしばーらくの間ね、減点方式でうまくやってきたから。富国強兵、国難突破。これは民主主義とは呼ばんでしょう。

 凹んでるとこがあるってことは、出っ張ってるところもあるってことなんだけど、成果主義の減点方式では、そういうところに目が行かない。

 できる子を称えるよりも、できない子を笑う。集団としての生徒たちがそうであってもいいけど、教師が、担任が率先してそれをやって生徒のウケを狙うような、そういう空気が僕のクラスでもあった。笑う側も笑われる側もやったな、僕。次回に続こうかな。
posted by 篠田 青 at 21:52| Comment(0) | 仁食同源

2018年10月20日

理想の読者

 ブログ書きながら考えてることっていうか、「電車で読んでて吹き出しちゃったよ!」みたいになるといいなーとかね、そんなノリなんだけど。

 妻は「何これ凄い怖いよ。みんなこれほんとだと思っちゃうよ、いいの?」とか言ってくるわけ。

 きがつくとぼくはちかくにあったてぢかなどんきをにぎりしめ

 これ気に入ってんのよ、ひらがなのやつ。っていうかやってると癖になってくるから駄目だね。

 ブログに「人前で吹き出しちゃったボタン」とかあればいいのになあ。
タグ:夫婦円満
posted by 篠田 青 at 01:01| Comment(0) | 日々

2018年10月19日

残不知親

 つぎにめがさめても、ひづけはおなじでした。というかほとんどきぜつしていませんでした。きぜつなどしていなかったのかもしれませんが、きぜつというのが「き」そのもののだんぜつをさすのであれば、それがたとえいっしゅんであってもきぜつにはちがいないのであり、それをたしかにじかくしているぼくじしんがたしゃにとやかくいわれるすじあいはない、だんじてないのだとおもごっ

 だれかにうしろからつよくなぐられたようです。なぐったこういそのものはゆるせません、とうていゆるせるものではありませんが、それでもぼくはそのひとにかんしゃしたいとおもいます。

 なぜならばおかげでぼくはれいせいになり、はいしゃさんにぬいてもらったおやしらずはたったのいっぽんだということをおもいだせたからです。

 らいしゅうまたもういっぽんぬいてもらうよていですが、それでもまだぜんぶのおやしらずをうしなうわけではないので、ぼくはあのころにもどってしまうのではないかというとうしょのぎもんを、いや、これはぎもんではなくきょうふというべきものでしょう。それをかくさずうちあけるぼくはたいしたにんげんだなあとおもいます。

 おわり
posted by 篠田 青 at 23:50| Comment(0) | 思いつき

2018年10月18日

抜不知親

 はいしゃさんでおやしらずをぬいてもらいました。

 ということはおやのしらないことがなくなり、またあのころにもどってしまうのだろうか。そんなことをふとかんがえたらめまいがして、とおくでじぶんがたおれるおとをきいたようなきがします。

 めがさめるとひづけはもうふつかごでした。ぶろぐのことをかんがえたらめまいがして、ぼくはまたきをうしなってしまいました。
posted by 篠田 青 at 23:27| Comment(0) | 日記