2018年11月12日

料理が完成するとき

 料理が作られるのは、目の前に運ばれるためではなく、誰かに食べてもらうため。

 作る人の「おいしく作る能力」だけでなく、食べる人の「おいしく食べる能力」も試される。どんなに優れた料理人であっても、食事の100%を管理することはできないということ。

 目の前の料理の持つエネルギーを引き出せるか、台無しにしちゃうかは食べる人にかかってるわけね。そう考えると料理人ってのは切ないような気もするけど、無闇な責任感も無用ということで。

 理想的なのは、料理人の込めた「気」と食べる人の「気」が掛け算のように組み合わさって、何倍ものエネルギーに変化すること。

 胃に入ったものを具体的にイメージするのは結構大変。料理が完成するのは、食べる人が飲み込む直前ってとこかね。
タグ: 篠田仁術
posted by 篠田 青 at 11:24| Comment(0) | 仁食同源

2018年11月11日

ホールフードとは何かね

 「ホールフード」という考え方がある。食材を丸ごと食べるのがよろしいって感じかね。ミンチとか粉とか、部分だけを食べるのは駄目よっていう。

 いいよね、分かりやすくて。

 では、分かりにくいことでお馴染みの篠田仁術は、ホールフードをどのようなものとして扱うのでしょうか。

 人が料理に込めるエネルギー、気というものがあります。

 作る人が込めるエネルギー。これはまあ、よく言われるやつ。「料理は愛情」とか、「うちのご飯が一番だね」とか、あとあれだ、「誰かを思ってにぎるおにぎりは美しい」とかね。

 もう一つは、食べる人が込めるエネルギー。「おいしそう」だと思って食べるのと、「食べたくない」と思って食べるのとでは全然違う。

 インターネットの時代になって、ますますこう、栄養素とか素材だけを取り上げてね、食べろだの食べるなだのって情報が踊り狂っておりますがね。

 人の食べる力ってものが軽視っていうか、ないものとして語られていて。分かってんだか分かってないんだかみたいな人たちが日々「不衛生不衛生まずいまずい食えたもんじゃない」とかのたまっていらっしゃる。

 まあ、断定して分かりやすくしたいのが人の常でございますからね。

 ミンチだろうが粉だろうが、色んな食材を組み合わせて一つの料理にする力が人にはある。

 ジャンクだろうが電子レンジだろうが、おいしく食べる力が人にはある。

 そういうものが意外と複雑に絡み合っているのが、人の食事でございまして。目の前にあるその料理、一品だろうがコースだろうが、それを一つの「ホールフード」と見なすのが仁術の立場で。それをきちんと、残さず食べるのが大事ですよ、と。

 そういう前提があるもんだから、給食の話も難しいんだよなー(笑)。
posted by 篠田 青 at 19:24| Comment(0) | 仁食同源

2018年11月10日

無理に食べさせるとどうなるか

 前々回までの給食シリーズでもちらっと書いたけど、無理に食べさせる、食べさせられるってことは結構あって。

 無理だというものを泣いてまで食べさせると何が起きるか。

 「食べたくない」と思われると、食べものはひねちゃう。「お前は駄目だ」と言われた人間と同じようにいじけてしまって、本来持っていたエネルギー(気)が急速に悪化する。

 僕はもう、これが一番もったいないことだと思う。

 物理的に食べものを食べものとして扱わないこと、食べずに廃棄することを世の中では「フードロス」と呼んでるけど、本当のフードロスはその前から始まってるのよね。

 食べものをおいしそうだと思うこと、食べたいと思うこと。おいしい、食べて良かったと思うことが一番重要なんだけど、それを邪魔する要素が多すぎるのよ。

 食事が正義でお菓子が悪。グルテンは悪。糖質は悪。ジャンクフードは悪。オーガニックだけが正義。

 まあ、そうやって定義づけちゃえば楽だからね。やっぱりこう、悪いところを見つけて、食べる前から判断しちゃいたいのよ。

 その人が食べてる様子をしっかり見て、自分の目で判断するのって大変だから。

 「それ以前に箸ができないから駄目」とか言う方が楽だから。

 たまにね、超一流のアスリートの偏食が話題になったりして、無意味な常識に衝撃を与えたりするじゃない。で、必ずお医者さんやら栄養学の先生やらに聞いてみた的な記事なんかが出て、「極めて特殊なケースだと思われます」みたいな感じになってて、常識さんたちは「やっぱりそうだよな」って安心する。

 好きなものに集中することで得られる「素晴らしく効率の良いエネルギー」をスルーしちゃう。これってとんでもない損失だけど、科学で証明されてないから全部でたらめですうふふ。

 給食なんかでも、「(こんなの)食べたくない」って思われる前にね、「いらないんだったら食べたい」っていう子に食べてもらえるのが一番いいのよ。
posted by 篠田 青 at 15:02| Comment(0) | 仁食同源

2018年11月09日

仁術と食の問題と言い訳

 仁術の難しいところは、一口に説明できないところ。「ここが悪い、治したい」って依頼に対して、ダイレクトだったりピンポイントだったりっていう方法を採るわけじゃない。本人が思う以上に、症状は内部深部から起きているからね。

 究極の内部深部である「仁」へのアプローチだからこそ効果があるんだけど、「この傷にこの薬を塗ります」みたいな分かりやすさがない。

 食の問題も同じで、ピンポイントで扱うのが難しい。すっごい難しい。これを食べろ、これは食べるなって話で済ませられないし、済ませるわけにもいかないから。

 えー、何が言いたいのかと申しますと。

 給食シリーズは失敗だ! まとめ損ねた!

 ははははは。

 まあそのー、完食させろいや食べ残せっていうね、アホみたいな二元論じゃどうにもならんだろと思って書き始めたわけだから、色んな角度で書くのは必然ではあったんですが。「僕ならこうするよ」って部分がこれでもかってくらい薄まっちゃってね……。

 給食だけで解決しようとするからいけないんだというのが僕の考えで。少なくとも「給食と学校と家庭」っていうサイクルで、食育という狭さを超えてやっていかないと駄目だろうと。

 それがまあ、タイトル詐欺みたいな散らかり方になってしまったのはもう仁絵ちゃん、間違えたひとえにワタクシのですね、至らなさの力不足のこんこんちきのでございます。

 ただそのー、仁術的にも食の問題って大事なんで、次回以降もですね、ちょっと継続して書いていこうかと思っております。
posted by 篠田 青 at 18:25| Comment(0) | 仁食同源

2018年11月08日

給食を残すとか残さないとか・後編

 前回のつづきでございます。

 食べられない子を落ちこぼれとして見せしめにし、「それが嫌なら食べられるようになれ」と促すことにはもう、なーんの生産性もない。

 周りと同じようには食べられない人がいるのなら、周りよりも食べられる人もいる。決められたおかわりだけじゃ足りない人だっている。好きなものならいくらでも食べられるけど、好き嫌いは割と激しい人。好き嫌いなく食べられるけど、量はそんなに必要ない人。

 誰かの苦手を誰かの得意が補って、クラス全体として完食することを目指す。集団としてのフードロスについて考える方がよっぽど生産的だと思うんだよな。

 「連帯責任」とかいう激ヤバ思想じゃなく、クラスという社会の「需要と供給」をうまくやりくりしながら、完食という目標を達成していく。これは経済の勉強にもなりますよお母さんお父さん。英語だのプログラミングだのより役に立つかもしれませんよ、ご家庭でもできますからねっ。

 「給食の時間だけはスター」っていう人が現れるかもしれない。食べられる人が尊敬される時間があったっていい。いっぱい食べないといけない体質だってあるんだし。そうなればきっと、食べられない人の体質や「食べられない以外の部分」に目が行く時間だって生まれる。

 色んな生徒がいて良かった。それを教えてくれる家族以外の大人がいて良かった。デジタルまみれの時代は進んでいくだろうけど、食はたぶん、どこまでもアナログでしょ。基本は人間なんだってことを愚直に、柔らかく学べるような可能性がね、給食にはあってほしいんだよな。

 僕にとって給食は、とても楽しい時間だった。クラスメイトの食べ方から学ぶことがたくさんあって、残さず食べたいとか、もっと上手に食べられるようになりたいとか、誰に強要されることなく、食への興味が広がっていくような。

 ただその、昼休みに野球やるのも楽しみだったもんだから、早食いの癖がついちゃってね。何かちょっと無駄に太ってたけど。

 ※この記事は不良品なので、次の記事も読んでやっておくんなさい。
posted by 篠田 青 at 00:40| Comment(0) | からだ