2018年03月29日

視覚と資格の死角・後編

 つづきでござる。いやあ、霊の話から恐竜の話になるなんてねえ。どうすんだろねえ。

 僕ね、古生物学者になりたいって思ってたんだけどさ、少年の頃。なれなかっただろうなっていうか、なれてなくて当然だなと。知識とも呼べないような、本だけ読んでね。コレクターというか、オタクというか。切り拓いていく感じがなかったもん。

 昔からの「非科学的なものは信じない」とか、最近なら「病院へGoです」みたいな言い方ってあるじゃない。自分で考えてない。誰かの知恵や経験を、極めて部分的に借りてるだけ。根拠なく否定し、根拠なく勧める。しかも上から目線。おぬしは何を知っとるんじゃい。無意識の権威主義って恐ろしいよ、門徒ちゃん。

 見えないものを見せてくれる映画や漫画によって、霊能力とは「見えるもの」だと、視覚的に覚えてしまうっていう。これはもう、物凄く強烈な体験で。ほとんど刷り込まれちゃうんだよね。「見えるか見えないか」っていう基準を。

 ブルース・リーが教えてくれたじゃん、「考えるな、感じろ」って。これも微妙なのか、今の時代は。いや、僕もそこまで世代じゃないんだけどさ。

 感じるってことは、見える(私にも敵が)とは限らないわけで。「霊を聴く」、「霊を嗅ぎ分ける」ってこともあるわけよ。それが分からんのです、偉い人にも偉くない人にも。なのにみんな偉いつもりでいるという。みんなっていうか、偉いつもりの奴の声が大きいんだろうけどね。

 これまた前にも書いたけど、マニアほど情報をね、視覚でかき集めて、読みあさるじゃない。信じるジャンルや度合いは少数派なのに、証拠で資格を論じたがるあたりは多数派で。目先の賢さばかりを争うんだから、視覚に囚われてるんだけど、気づかない。

 大事なのは、問題が解決か、改善すること。原因が分かって、再発を防げること。本物に見えるかどうかじゃないのにね。
posted by 篠田 青 at 15:00| Comment(0) | 精神世界
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。