2018年06月15日

メロスに激怒した・中編

 つづき。

 いや、サイバーコップについて語りたいことは別にないんだけど、どうしよう真面目な人がサイバーコップ情報を待ってたら。でも何だろうね。「サンダー! アーム!」とか言って、馬鹿にしながら完コピ的に(そういう言葉はなかったけど)真似して遊ぶみたいな、そういうネタもね、それはそれで常に必要だったな。

 期待してたのにつまんねえどうしてくれよう的なエネルギーを、パロディとして遊びで発散するっていう。つまんなきゃ見なきゃいいんだけど、見届けなきゃ気が済まないそんな性格ねむりたーいあーいわーなびーうぃじゅー。

 で、メロスメロス。メロッスー、メロッスー。アンドロメロッスー。

 とか口ずさんではみるものの、「アンドロメロスっていつやってんだろ?」と思いながらカードだけ眺めてるっていう日々。最初は雑誌連載だけだったとか、漫画がどうだとか、そういうの全然知らなかったし、今でもあんまりよく分かってない。

 あの頃はそういう「いつやってんのこれ?」っていうのがちょいちょいあった。『仮面ライダーZX』とか。前にもちらっと書いたけど、「テレビでやってる実写特撮しか認めない」みたいなとこあったから、雑誌だけの企画なんて想像もしない。

 『ウルトラマン80』と『仮面ライダースーパー1』、その後どうした? みたいな。特撮シリーズが受けなくなった、そういう時代だったんだろうね。時代のことなんて知らないじゃない、子ども。

 過去の特撮、特にウルトラマンの本を繰り返し読んでてね、リアルタイムのウルトラに飢えてるわけよ。自分も体験したい、自分のウルトラマンが欲しいっていう。80はちょっと違ったんだよなあ(顔が)っていう。つづこうかね。
posted by 篠田 青 at 01:47| Comment(0) | アニメ・特撮

2018年06月14日

メロスに激怒した・前編

 アンドロメロスよりもかっこいいものなどないんじゃないか。

 そう思っている時期があった。

 久しぶりに動くアンドロメロスを見てみたら、何考えてたんだあの頃の僕いくら幼いといったって詳しく理由を説明してくれよと思った。メロスに激怒した。

 よくよく思い出してみると、本編、というのが正しいのかどうかも分からないんだけど、テレビ番組としての『アンドロメロス』を見る機会はほとんどなかったし、いつやっているのかも分かっていなかった。

 近所のおもちゃ屋さんにメロスのカードみたいなのが売ってて、そこに使われている写真と、「メロスの正体はゾフィーっぽい」っていう噂が好きだったんだと思う。

 「バルイーグルよりバルシャークが好きなのに(あ、『太陽戦隊サンバルカン』、いわゆる戦隊ものです)、いつも赤ばかりが真ん中だ」という不満の受け皿として、青じゃないけど赤よりはマシっていう適当さで、メロスの緑が機能した部分もあるのかもしれない。

 動いているメロスよりも、写真のメロスとその世界、メカっぽい怪獣とか宇宙人に魅力を感じて、想像力を働かせていた。

 フィルムって偉大だよね。やっぱりあの解像度の中には夢やら想像やらを余裕で受け止める包容力みたいなものがある。

 テレビ番組としてのアンドロメロスはビデオ収録で、それまでのウルトラシリーズみたいな質感、当たり前だと思っていたフィルムの情報量がない。初めて『電脳警察サイバーコップ』を見たときの「何じゃこの安っぽいのは」っていう衝撃と同じだね。え? 分からない? じゃああれだね、続くしかないね。
posted by 篠田 青 at 01:50| Comment(0) | アニメ・特撮

2018年06月13日

ゾイドとアニメの相性・後編

 つづき。

 CGとデジタルアニメこそ、ゾイドが必要としていた媒体なんだろうなと思う。ゲームとの相性も良かったとは思うけど、だったらたぶん、雑誌のジオラマ連載でも良かったんだよね。家にいるだけで触れられるテレビって強いよ。

 で、子ども向けって部分を強化したいんだったら、なるべくなるべく簡単なキャラクターデザインがいいんだよね。レゴとかアンパンマンとか、小さい子が食いつくものってシンプルだもんね。できるだけ幼い頃に手にとって、なるべく長くファンでいてくれる方が望ましいわけで。

 そんなこんなで、ゾイド初のアニメシリーズがああいうデザイン、あ、これは登場人物、人間たちって意味ね。あのキャラクターたちが、ゾイドメカの硬質な部分を和らげるような、ソフトでフラットな感じに仕立てられたのは納得なんでございますアタクシも。

 理屈としてはね。

 あれで新たなファン層を獲得したのは明らかだし、「第二期」なんて呼ばれる波を生んだわけだし、大成功だったんでしょう。

 りりり、理屈としては。

 僕が好きだったゾイドの感じじゃないなーって。成長したからじゃないのよ。これ、あの頃に見てても駄目だったろうなって思いながら見てた。

 見てたんかい。

 いや、そら見るよ。見るでしょうよ、好きだったんだから。こんな風にさ、思い出しながら書けるくらいにはさ。
posted by 篠田 青 at 02:01| Comment(0) | おもちゃ

2018年06月12日

ゾイドとアニメの相性・中編

 つづきだよまだまだゾイドだよ。

 アニメとの相性が悪いゆえに終息に向かってしまった初期のゾイド。いや、当時のトミーがそう判断してたかどうかは分からないけど、間違いなくあるのよ、要因として。ストーリーは欲しいけど、アニメにすると子どもでもしらけちゃう。

 販促ビデオの実写パートはかっこよかったけど、あんなもん手間がかかりすぎて、連続ものとして作れるわけがない。それに、あのやり方だと今度は人間との相性が悪い。ストーリーものにするなら人間は欠かせないけど、「ヘリック共和国」と「ゼネバス帝国」とか言ってるのに日本人しか出てこないとしたらどうですかお客さん。

 あくまでもゾイドが主役で、おもちゃにパイロットとしてついてくるメッキ人形をちょこちょこ動かして喋らせちゃうってのもありだと思うけど、当時の風潮を考えるとまあ、通らないでしょうね。

 おもちゃである限りは、「大きいお友だち」じゃなくって、子どもたちに向けて展開したいんだろうから。

 そう考えると、子ども向けじゃなかったスター・ウォーズって凄いな、やっぱり。聞いてるかディズニーこんちくしょういやいやそうじゃないあれはファンも悪いああまったく愚かなファンたちすなわち声も大きいお友だちだったら小さい声も探せよディズニーお金は使い方でしょうがやっぱりこんちくしょう。

 おっといけない。

 ゾイドの魅力であるところのリアルさを生かしたくとも、実写は現実的じゃない。手描きアニメも線を描ききれないから無理。CGとデジタルアニメが必要だった。ってこれ前回から進んでないね。つづこうね。
posted by 篠田 青 at 01:45| Comment(0) | おもちゃ

2018年06月11日

ゾイドとアニメの相性・前編

 「またゾイドか」じゃないの。そう言わずに読んでごらんよほらほらぐいぐいぎゅー(新手のVR)。

 僕にとってのゾイドはディテール過多みたいなリアルさこそが魅力で、線を省略していかなきゃいけないアニメとは相性が悪いんだよね。

 おそらくというか、おそらくじゃないな。ゾイドって『スター・ウォーズ』のメカ的な世界、AT- ATなんかのかっこよさを日本人のセンスで拡張したようなおもちゃだから。戦闘機じゃなくって、もっと大きいメカ。宇宙船なんかのね、表面がもう、細かーい部品でみっしりみたいな感じ、あるでしょ。

 ああいうのがスター・ウォーズの「うおお」の一つであることは疑いようがなくて。そういう気持ちでいるときにね、手描きアニメのウーキーファミリーみたいなのを見せられちゃうと、子どもでもげっそりするのよ。

 あったの、昔。そういうアニメが。『クローン大戦』のずっと前にね。クローン大戦は良かったよ。

 ゾイドも同じで、販促ビデオだろうが何だろうが、手描きアニメでね、メカ生体ゾイドの進化と歴史みたいなのを見せられても困るの。見たくないの。

 でもまあ、商品としてはね。「ガンダムとトランスフォーマーにあって、ゾイドにないものは何かね」っていう会議になったら「はい、それはアニメです」ってなるもんね。

 デジタルアニメの登場って、動かない直線デザイン(建物とか乗り物)の多いスター・ウォーズとかゾイドにとってはもう、大きな大きなターニングポイントだったでしょうねえ。つづくでしょうねえ。
posted by 篠田 青 at 01:49| Comment(0) | おもちゃ