2018年04月01日

こ和い話・後編

 つづきでございます。

 さらに厄介なのは「生まれつき」って言葉。生まれつきってのはいつからを指すのかね。温かいかどうかはさておき、誰もが親の思いの下に生まれてきて。親が子に使う「生まれつき」の何とまあ、無責任なことよ。

 前編でも書いた通り、和に見せかけた輪の罠が、この国の文化にはもう、あまりにも多い。それが国や地域や家族の「全体」に寄与したからって、個人を蝕んでいい理由にはならんでしょう。

 そういう全体の無神経さというか、全体主義の横暴に対してね、「体質」とか「生まれつき」って言葉が有効な防御手段になる。なっちゃう。全体に服従させようとするだけの奴と無駄な議論をせずに済むから、便利なのよね。

 便利な部分があるからこそ、寄生が共生になる。

 治らないことが武器になる。

 体質って言葉は便利なんだよね。「そうなんだからしょうがない」っていう、控えおろう控えおろうご老公で御座候。

 無理解っていう横暴に対して、被害者を肩書きに闘う。全体主義を拒絶するようでいて、奇妙な共生関係、無意識の輪を自ら構成してしまっていることに気づけない。

 そういう環境が、霊障を育てる温床になる。

 街を歩けば、明らかに霊障だなと思われる症状に苦しんでいる人が目に入る。みんなが思っている以上に、霊障ってのは目に見えるもんなのよ。目に見えるから、医学に定義されちゃうし、そういうもんだと覚えてしまう、信じさせられてしまうだけでね。

 治りたいってことは、そこから抜け出したいと思うかどうかだから。緩和するだけの薬をもらいに行き続けることよりも、実はずっと難しい。

 それを理解した上での僕の仕事はあれだな! プロだな!
posted by 篠田 青 at 01:13| Comment(0) | 精神世界