2018年06月23日

お知らせと説明など

▼ お知らせ ▼

 もうあれだ。日付ごちゃごちゃでいいことにしよう。新しい日付で書いたり、古い日付で書いたり。あとはそう、書けなかった日とかはもうなかったことにしたり。
 どれが新しい記事だっけ、みたいに読んでもらうのも面白いよきっとそうでしょそうだよねそうって言ってよユサユサユサー


▼ ブログの説明 ▼

 人の心の奥には「仁」があって、そこを扱うのが「篠田流仁術」。

 仁を鑑定するので、僕は自分を「鑑仁師」としています。

 症状や現象に目が行きがちだし、情報も専門家も溢れに溢れて数え切れないほどだけど、根っこはぜーんぶ仁にあるんだよー。

 ということで、色んなことを好き勝手に書いてます。仁術ってシンプルすぎて逆に分かりにくいみたいなところがあるので、少しでも興味のあることから「あ、これも関係あるの?」と感じてもらえれば。

▼ ブログの読み方 ▼

 仁術のコンセプトに基づき、「で、どうすればいいの?」については書いていません。そのあたりのことは「精神世界へのスタンス」を読んでくださいな。


▼ 篠田流仁術 ▼

 「医は仁術なり」の仁術とはだいぶ違うし、ジャンルとか専門とか関係なさそうだなーというのをですね、何となく分かってもらえれば。
posted by 篠田 青 at 02:01| お知らせと説明

2018年06月13日

ゾイドとアニメの相性・後編

 つづき。

 CGとデジタルアニメこそ、ゾイドが必要としていた媒体なんだろうなと思う。ゲームとの相性も良かったとは思うけど、だったらたぶん、雑誌のジオラマ連載でも良かったんだよね。家にいるだけで触れられるテレビって強いよ。

 で、子ども向けって部分を強化したいんだったら、なるべくなるべく簡単なキャラクターデザインがいいんだよね。レゴとかアンパンマンとか、小さい子が食いつくものってシンプルだもんね。できるだけ幼い頃に手にとって、なるべく長くファンでいてくれる方が望ましいわけで。

 そんなこんなで、ゾイド初のアニメシリーズがああいうデザイン、あ、これは登場人物、人間たちって意味ね。あのキャラクターたちが、ゾイドメカの硬質な部分を和らげるような、ソフトでフラットな感じに仕立てられたのは納得なんでございますアタクシも。

 理屈としてはね。

 あれで新たなファン層を獲得したのは明らかだし、「第二期」なんて呼ばれる波を生んだわけだし、大成功だったんでしょう。

 りりり、理屈としては。

 僕が好きだったゾイドの感じじゃないなーって。成長したからじゃないのよ。これ、あの頃に見てても駄目だったろうなって思いながら見てた。

 見てたんかい。

 いや、そら見るよ。見るでしょうよ、好きだったんだから。こんな風にさ、思い出しながら書けるくらいにはさ。
posted by 篠田 青 at 02:01| Comment(0) | おもちゃ

2018年06月12日

ゾイドとアニメの相性・中編

 つづきだよまだまだゾイドだよ。

 アニメとの相性が悪いゆえに終息に向かってしまった初期のゾイド。いや、当時のトミーがそう判断してたかどうかは分からないけど、間違いなくあるのよ、要因として。ストーリーは欲しいけど、アニメにすると子どもでもしらけちゃう。

 販促ビデオの実写パートはかっこよかったけど、あんなもん手間がかかりすぎて、連続ものとして作れるわけがない。それに、あのやり方だと今度は人間との相性が悪い。ストーリーものにするなら人間は欠かせないけど、「ヘリック共和国」と「ゼネバス帝国」とか言ってるのに日本人しか出てこないとしたらどうですかお客さん。

 あくまでもゾイドが主役で、おもちゃにパイロットとしてついてくるメッキ人形をちょこちょこ動かして喋らせちゃうってのもありだと思うけど、当時の風潮を考えるとまあ、通らないでしょうね。

 おもちゃである限りは、「大きいお友だち」じゃなくって、子どもたちに向けて展開したいんだろうから。

 そう考えると、子ども向けじゃなかったスター・ウォーズって凄いな、やっぱり。聞いてるかディズニーこんちくしょういやいやそうじゃないあれはファンも悪いああまったく愚かなファンたちすなわち声も大きいお友だちだったら小さい声も探せよディズニーお金は使い方でしょうがやっぱりこんちくしょう。

 おっといけない。

 ゾイドの魅力であるところのリアルさを生かしたくとも、実写は現実的じゃない。手描きアニメも線を描ききれないから無理。CGとデジタルアニメが必要だった。ってこれ前回から進んでないね。つづこうね。
posted by 篠田 青 at 01:45| Comment(0) | おもちゃ

2018年06月11日

ゾイドとアニメの相性・前編

 「またゾイドか」じゃないの。そう言わずに読んでごらんよほらほらぐいぐいぎゅー(新手のVR)。

 僕にとってのゾイドはディテール過多みたいなリアルさこそが魅力で、線を省略していかなきゃいけないアニメとは相性が悪いんだよね。

 おそらくというか、おそらくじゃないな。ゾイドって『スター・ウォーズ』のメカ的な世界、AT- ATなんかのかっこよさを日本人のセンスで拡張したようなおもちゃだから。戦闘機じゃなくって、もっと大きいメカ。宇宙船なんかのね、表面がもう、細かーい部品でみっしりみたいな感じ、あるでしょ。

 ああいうのがスター・ウォーズの「うおお」の一つであることは疑いようがなくて。そういう気持ちでいるときにね、手描きアニメのウーキーファミリーみたいなのを見せられちゃうと、子どもでもげっそりするのよ。

 あったの、昔。そういうアニメが。『クローン大戦』のずっと前にね。クローン大戦は良かったよ。

 ゾイドも同じで、販促ビデオだろうが何だろうが、手描きアニメでね、メカ生体ゾイドの進化と歴史みたいなのを見せられても困るの。見たくないの。

 でもまあ、商品としてはね。「ガンダムとトランスフォーマーにあって、ゾイドにないものは何かね」っていう会議になったら「はい、それはアニメです」ってなるもんね。

 デジタルアニメの登場って、動かない直線デザイン(建物とか乗り物)の多いスター・ウォーズとかゾイドにとってはもう、大きな大きなターニングポイントだったでしょうねえ。つづくでしょうねえ。
posted by 篠田 青 at 01:49| Comment(0) | おもちゃ

2018年06月10日

ゾイドの魅力ってね・後編

 つづき。

 ミリタリー好きなら違ったのかもしれないけど、僕にとってのゾイドはもう、おもちゃとおもちゃの箱だけで充分だったんだよね。ゾイドの箱って、全面グラビア印刷みたいな感じ(いや、正確なことは知らないけど)で、ジオラマっぽい写真が豊富でね。

 その写実的な重厚さがもう、たまらなくかっこよくて。箱ばっかり何度も何度も眺めて、想像を膨らませてね。

 いきものの図鑑が好きだったからかな。水生昆虫の写真とか、熱帯魚の水槽なんかも飽きずにずーっと眺めてたり。写実的な箱庭とでもいいましょうか。そういう世界が好きで。

 ウルトラマンのセットとか、おもちゃのジオラマ写真とか、「この砂は本物を使ってるのか、それとも砂っぽいプロ用の何かなのか」みたいなことが凄く気になって、今はインターネットなんかあるざますけどね、当時はほんと、周りの大人に聞いてみたって分かりゃしませんざましょこんちきしょう。

 ジオラマ製作のプロになりたいとか、そういう方向じゃなかったからね。知りたい欲もその程度だったんだろうけど。まあうん、見るのが好きだったんだな。

 だからゾイドのね、以前書いた販促ビデオ。あれの実写パートも大好きで。交互に出てくるアニメパートは何だろうな、引いたわ。当時そういう言い方はなかったけど、「これじゃない感」が凄かった。全っ然感情移入できないの。

 そこがゾイドの、商品としての弱点でもあったんだろうけどね。だからこそ、CGアニメを味方につけての第二期ブームがあって。それは凄く分かるんだけど。

 「あの頃の写実的な魅力」が薄れちゃってて、それを伝える絶妙なツールも手段もなくって、歯痒い日々なのよね。
posted by 篠田 青 at 01:57| Comment(0) | おもちゃ